“「東京だから」という病”という記事を読んで。私の正直なコメント。

“「東京だから」という病”という記事を読んで。私の正直なコメント。

「東京だから」という病
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20080123/145116/

↑お時間のある方、興味のある方は

ぜひ、一度、読んでみてください。

私は一応全部読みました。

感想を書いておきます。


…私もこのコラムの著者「遙 洋子」さんの意見に

半分以上共感できます。

私自身、地方(京都および大阪方面)から関東に引っ越してきた者なものですから

尚更、著者の気持ちが分かるという点もありますし…。

私の場合ですが、正直に申し上げると

電車内ではもっぱら無関心派です。

理由ですが、これもご多分に漏れず、ですが、

余計ないざこざに巻き込まれるのが嫌だから、です。

怖いじゃないですか、今のご時世。

なので、コラムのなかで登場する“年配男性が女子高生を殴った奇妙な一部始終”

を私が目撃、もしくは、当事者になったとしても、

同じく“静か”で居ると思う。

繰り返しますが、

余計ないざこざに巻き込まれるのが嫌

これが皆の共通の思いだと思いますよ。

全く寂しい事このうえない事態なのは

私も心では感じるのですが保身が勝ってしまうのですね。

ここで一部引用する。

「なぜその場で怒らないのか」と責めたが、知人はどこか、あきらめているのだ。捨てているのだ。この社会や、大人を。そして、自尊感情を。そのことと、殴られながらじっと本を読む女子高生とがダブった。

↑これについて、私の意見は…。

諦めについては、大いに共感する。

私の場合、“仕方ない”という言葉が一番しっくり来るかな…。

自尊感情 … 荒っぽく書くと“自分以外はみんな馬鹿”と思うことである。

自尊感情は誰もが持っているものだとは思う。

ただ、自分でいうのもなんですが

私の場合は、そこまで自尊に浸っているつもりは自分は無いと思ってます。

しかし、私はそこに病を見る。無関心な人間を変えるのは難しい。保身がそれを強固に阻む。だが、あきらめてきた人が変わろうと思えば方法はある。

痛みを感じたら「痛い!」と叫ぶことだ。
変だと思えば「変だ!」と騒ぐことだ。
それで助けられようが助けられまいが、叫んで損はない。助けてくれたらラッキー。なにより、叫べば自分がすっきりする。それだけでも、儲けもんだ。
病の治療は、自覚症状からしか始まらないのだから。

↑それにしても、コラムの著者「遙 洋子」さんは

この“底の見えない現代の闇”に果敢に提言なさるな。

彼女の意見に、意識的にはすごく共感するのですが、

私は、これからも電車では無関心ライフを送ると思います。

。。。

つらつらと本音で書いてみましたが、

みなさんは、ぶっちゃけどう思われますか?

最後の、最後に、本題以外の“おまけ”

 車掌は申し訳なさそうに答えた。
「海浜幕張は3番線と4番線です。でも2番線でもたまに出ます。そして、それらすべてのホームにまったく違う方面の電車がたまに混じります。このややこしいシステムを過去いったん整えたのですが、本数が増えることになって、また、混ざることになりました」

↑これには驚きました。

そりゃ、わからんし、フラストレーション溜まるわ( ゜ロ゜)

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